天理時報 お供えの本来の意味を知る・・・どの口が言う!

 天理時報に 視点『お供えの本来の意味を知る』・・・記事が載った。
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 まさに「どの口が言う」である。
 天理教人でこのblogの読者は良くわかっているはずだ。
 天理教の家庭が貧乏なのは、度を過ぎた献金によると言って良い。
 10年おきに行なわれる教祖の年祭は、献金(お供え)地獄である。
 百年祭の時は特に酷くて、事件も起きていたようだ。
 
 芹沢光治良 著 『神の慈愛』 98頁
 昨日は二十六日ということで、百年祭も終わりました、なあ。本部は二月十八日までやるというけれど、百年祭はおわりましたのや。祭り騒ぎではどうもならん。これからどないにして、道の者、又、世界の者、たずさわる者、一人一人が、成人さしてもろうて、どんな道を踏ましてもらうのか、それこそ親への孝行になるのやが、それも忘れて、飲み、食い、喜び、これではならん。自ら反省して、通るのが、百年祭を過す実である。それをなあ、本部では、まだまだ、ああ楽しい、ああ面白い、ああ珍しいと言う、この三つが残ってはる。それではならん。百年祭は1日きり、それを過ぎたら、やらなければならんことが、十分に、つんではるのや…
 こんな言葉がずっとつづいた。思い出すだろう?
 うん思い出すよ。
 僕ね、この言葉を聞いている時、ふと思い出したんだ。このどんちゃん騒ぎの百年祭を行う費用のために、どんなに苛酷の方法で、本部が部下教会に強制的に献金させたかってことね。『天理教よ蘇れ!』の本に、詳しくその実状が書いてあるが…献金が集らなくて、自殺した教会長が二人、献金する金をつくろうとして、銀行強盗にはいって、ふるえてつかまった臆病会長もあったんだが、みな教会名と人名とを正確に書いているところをみると、実話であろうが…これでは、親様が嘆かれるのも、もっともだと思ったよ。
 以上抜粋

 献金については、統一教会も天理教も同じようなものだ。

 お供えは、お祭りの時神前に献饌、お祭りが終わると撤饌。
 下げたお供えは、直会に使い、余った物はお下がりとして参拝者や近所に配る。
 お金はどこかへ消えてしまう。
 
  天命庵
 「神さんはな、子供からおたから(おかね)など貰いたいとは思っていませんで。あったら親の方からやりたいくらいのものや」
 
 お金は困っている人にあげればいいのに。

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